「声かけ写真展」完走声明
- 書込者 : 器具田こする 2016/05/10 : 18:19
∬゜ΘωΘÅ < キグダフタヌーン!!
声かけ写真展、完走しました! 来場していただいた方には感謝です!!
それと、見もせずに伝聞で想像こじらせちゃったdisは要らんですよ!!
終わったあとに見てない人がきて騒いでるだけなんて、お祭りテンプレートもいいところ。
見に来ればよかったね、遅かったね、それで終わり。
というだけなんですけども。
その「見もせずに伝聞で想像こじらせて騒ぐ」人たちに思うところ。
炎上は娯楽ですので、騒ぐ理由に深いものなどないでしょう。ありもしないわかりやすい「悪」を考えだして警戒するのは、個人の中でやっていただきたいところではあります。
いまネットでは、
見ていない人たちによる想像上の不可視の展示内容と、それによる炎上文言があふれています。
対して実際に来場、鑑賞していただいた方の印象を確かめてみてください。
この落差が、写真展のもつ現代アート()的な批評性として示されています。
行われている批判報道も、想像上の不可視の展示内容によるものです。
おそらく頭の中ではものすごい凶悪な展示が繰り広げられているのでしょう。
文化人、批評家、評論家と言われるような人が世の中に迎合して想像でモノを言ってしまう、それで許される現状に危機感を感じます。
来場者が会場で撮影した写真をネットで見ただけでは、とても写真展を評価する資格にはなりません。
写真展の評価は、写真展に来場して鑑賞することでしかできないものです。
実際に見て何を感じたかは観覧者にゆだねますが、想像上の不可視の展示内容を見ている人たちの反応は完全に誤りです。
もうひとつ。
本件には写真展の評価でない問題があります。
伝聞だけで想像をこじらせて悪を合成する、そのメカニズムの根源となるものです。
頭に設置されたメカニズムを守るため、写真展は悪でなければならない、と思い込んでしまう、結論ありきで進む、そんな人たちがいます。
人を悪に仕立てるレトリックはあふれ、疑う能力も枯渇し、荒廃していきます。
性を嫌悪するあまり、何を見ても性のメタファーとし、ポルノだとする人もいます。
これはある意味宗教と言ってもいいくらいに硬直したものですので、説得は不可能でしょう。
こうした宗教に従った評価で、写真展の評価を上書きしてくることはやはり間違っています。言い合いをしても平行線にしかなりません。
少女愛者が写真をやってはいけない、なんてのは写真の歴史から否定することにもなります。
最後に。
昔に「声かけ写真」という呼称はありませんでしたが、声をかけて写真を撮る文化はあります。
「声かけ写真」は当時のあの文化を現代に紹介するために、器具田研究所が命名定義した呼称です。「声をかけ」て撮った「写真」。
そのものを表した的確でニュートラルな新しい言葉です。
「声かけ」という言葉の劣化は凄まじいものです。「声かけ」から「犯罪」への連想距離が急激に収縮しています。
声をかけることは人間関係の第一歩であるにもかかわらず、人を信じようとせず、犯罪と見てしまう。まさに狂った現象です。
狂ったものをさらに歪ませて提示するのは器具田研の得意とするところです。ネガティブな、不適切な言葉はうんざりするほど繰り返すことで陳腐化し、意味も雲散霧消することを知っています。
「声かけ写真展」というタイトルには、そういう意図が込められています。
タイトルを聞いて、驚いて、話題になって、やがて自分のココロの汚れと向き合う--そんな動きを願っています。
そしていま、報道機関でさえ、自分のココロの汚れをさらけ出しました。
ココロを大切に。