WKDは、人形サイトである以前にモロ少女を語る場でもあったのだ。旧サイトが無期限ストに突入したのも、モロ少女の理念を通すため、現在の少女シーンに対してアンチの立場をとらざるを得ないというか。考えが古いとかじゃないんだよ、昔からその対立あったわけだし。
ツマンナイ抽象的な話になるけども、名指しを避けるためだ。わかる人だけ笑っておくれ。
少女愛の本質に「おおごとにしない」という方向性がある。
おおごとにしない、慎ましくていいことじゃないか、とは思う。
でも、勝てば官軍なメジャーシーンでは [おおごとにできないことは排除、排除されたくなければおおごとにしてしまえ] って考えがまかり通っているようなんだ。
本来、おおごとにする必要のないことを、でかく打ち上げてしまう。ポジティブなことでもネガティブなことでもね。それでマスコミのニュースになっても本望だ、とする。やめてくれ、と感じない人は、おそらく部外者だ。真剣になればなるほど、他者からいじられたくはない。少女愛は、真のメジャーにはなりえない、なってはならない領域だ。
「おおごとにしない」ひとを、
やましいからだろう、やましくないのなら大っぴらにしなさい、と脅迫するのは勘違いした警察の論理であり、その視点を進めたところで少女愛を理解することは無理だろう。声を上げないとデカイ声のヤツに潰される、というのも、実は疑った方がいい。住む世界が違うだけなんだ。
モロ少女派の少女愛者の感性では、「おおごとにする」のは、敢えて表現するなら「野暮」なんだねえ。
小説の結末を読む前の人に解説するだとか、歌舞伎の上演中に黒子を云々するとか、釈迦に説法とか、なんだかわかんなくなってきてますが。
少女愛は、社会的・人間関係的に、支配者と対決せざるを得ない構造にできている。そんなことわかりきっている。だから対決を回避しようと努力しているのに、なぜ対決を顕在させ、トラブルを剥き出させようとするのか。
対決回避の姿勢を犯罪者心理とか共犯感覚とか病理だとか、名付けるのは自由だけども。あくまで「野暮」だからであって、本質が悪いだとか、だから隠そうだとかは思ってないのね。
短絡的に悪いと思ってるのはどっかの信者か、自覚なく[彼ら]に操られてる愚者の方なんだから。
悪いと思うんでしょう? ならば無用なトラブルは避けましょうよ。クマは森に帰るだけですよ。
少女愛の図式が及ぼす社会的影響は当然わかっているから、然るべく黙々と行動するだけで。わざわざ大勢に向かって発表することなんかないのに、なぜ余計なことをあげつらうのだろう、痛々しいな、と。
野暮にしない程度のささやかな活動は、今でも模索してますよ。